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憲法についての考え方Q&A

憲法についての考え方 Q&A

【総論及び改正要件関係】

憲法改正をどう考えるか(憲法改正論議の現状をどうみるか。憲法についての基本姿勢は。

1. 旧来の護憲、改憲というイデオロギー的な議論は不毛である。また、憲法改正要件の緩和を憲法に関する議論を巻き起こす突破口にするという感覚的な議論も不適切である。憲法は国民の生活や財産、人権を守るために定められ、平和な暮らしを実現するための共同体のルールを定めたものであるから、基本原則を守りつつ、時代や環境の変化に応じて必要があれば改正すべきものである。
2. しかしながら、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という日本国憲法の四大原則は、現在においても守るべき普遍的価値であり、引き続き堅持すべきである。

このような基本理念、原理を堅持した上で、時代の要請を踏まえ、国連の平和維持活動、国会、内閣、司法、国と地方、緊急事態の関係で憲法の規定を一部見直し、足らざるを補う「加憲」をする

そもそも憲法をどのような性格のものと認識しているか。

憲法とは、国家以前の普遍的理念である「基本的人権の尊重」を貫徹するため統治権を制約するものであり、我が党は、こうした立憲主義の考え方を基本としている。

占領下で制定された経緯を踏まえて憲法改正についてどう考えるか。

「占領下で制定された憲法は、国民の自由な意思によらずに押しつけられたから無効である」という議論があるのは承知している。しかしながら、日本国憲法における基本理念、原理は、人類普遍のものであり、守られるべき価値観であるとともに、国民の間に定着している。このことをもってすると、占領下だから無効などという粗雑で形式的な議論をすべきではないと考える。(なお、自民党はこの憲法のもとで政権を担ってきたという経緯を忘れてはならない。)

憲法96条の改正について、憲法改正の要件の緩和をどう考えるか。

1. 「占領下で制定された憲法は、国民の自由な意思によらずに押しつけられたから無効である」という議論があるのは承知している。しかしながら、日本国憲法における基本理念、原理は、人類普遍のものであり、守られるべき価値観であるとともに、国民の間に定着している。このことをもってすると、占領下だから無効などという粗雑で形式的な議論をすべきではないと考える。(なお、自民党はこの憲法のもとで政権を担ってきたという経緯を忘れてはならない。)
2. しかしながら、憲法は、国家の在り方や国法秩序の基本を定めるもので、国の最高法規である。そのような、国の基本を定める規範は、通常の法律のような、容易に改めることのできる性質のものでないことは言うまでもなく、かつ、最高法規として、その安定性が求められる性質のものである。96条の改正規定は、両議院の3分の2以上の賛成を発議要件としているが、これは、憲法の基本理念、原理を否定するような安易な改正は認めない、という意義を持っている。憲法は普遍的な基本的理念を規定しているものであり、多くのコンセンサスを得た上で改正を行うべき性格のものである。

なお、仮に国会の発議要件を緩和して過半数とした場合には、基本的に政権与党だけで改憲発議が可能となり、統治権に対する制約としての憲法の意味がなくなってしまうことになる。

国会の発議要件を緩和したとしても、国民投票による要件があるのだから、国民の良識に委ねればいいのではないか。

国会の発議要件を過半数に緩和すると、直近の国政選挙で過半数を得た政党が、与党のみの賛成で総選挙後直ちに憲法改正を発議し、国民投票を実施することが可能となる。この場合は、国民投票における投票行動が総選挙における投票行動と類似したものとなり、国民投票が憲法改正のためのハードルとして機能しなくなることが危惧される。

憲法は、国家の在り方や国法秩序の基本を定める最高法規として、安定性が求められる性質のものである。96条の改正規定が両議院の3分の2以上の賛成を発議要件としていることは、憲法の基本理念、原理を否定するような安易な改正は認めない、という意義を持っているものである。

基本理念に係る条項とその他の条項を分けて、改正要件を緩和すればいいのではないか。

1. これは傾聴に値する考え方であり、現に諸外国でも、そのようにしている例もある。

  • 憲法の全面改正や、国の基本原則などについての改正の場合は、両議院で総選挙をはさんだ2回ずつの議決(3分の2以上)に加えて、国民投票が必要(スペイン)
  • 通常は、両議院の過半数の賛成に加えて3分の2以上の州議会の同意が必要とされるが、一定の条項の改正については、両議院の過半数の賛成に加えて、全州の州議会の同意が必要とされる(カナダ)
  • 通常は下院の3分の2以上の賛成と上院の過半数の賛成が必要とされるが、共和国に関する事項や権利義務に関する規定などの改正については、要求があれば、これに加えて国民投票が必要とされる(ポーランド)
しかし、上記の国々にあっても、議会での過半数の賛成+国民投票での過半数のみを要件とする例は見当たらない。そして、憲法の中で、基本理念に関する条項は何か、すなわち、改正要件を他の条項よりも厳しくすべき条項は何かを区分けする必要があり、また、区分けした場合にそれぞれの改正要件を具体的にどのようにすべきかなど、検討すべき課題は多いものと考える。
2. なお、主要国では、硬性憲法であるにもかかわらず、改正がかなり行われていることは事実であり、厳格な改正手続が改正を妨げているという見解は正しくない。その必要性があり、コンセンサスが得られれば、憲法は変えられるものである。

生活の党の憲法改正の方向性のポイントは何か。

我々は、国際貢献の規定を明確に位置付けるとともに、統治機構に関する規定の中には実態に合わない不備な点があるため、改正する必要があると考えている。例えば、以下のような点である。

  • 国連の平和維持活動に自衛隊が参加する根拠となる規定の整備
  • 民主的統制の適切な確保の観点からの行政に対する監視機能の強化(会計検査院を改組して行政監視機能も併せて、国会の附属機関として行政監視院を置くこと、いわゆる「少数者調査権」を規定すること、国会の事務組織(各議院の事務局・法制局)による資料提出要求権等の権限を強化すること等)
  • 二院制の維持及び両議院の役割分担の明確化
  • 衆議院解散の手続及びその実体的要件の規定の整備
  • 国と地方の役割分担及び地方公共団体の権限の明確化
  • 緊急事態の際、民主的統制を確保し対処するための規定の整備

現行憲法においては、テロ、災害も含めた緊急事態の下で国家の統治機構が機能不全に陥った場合の規定が空白である。したがって、内閣による緊急事態宣言の根拠規定その他の緊急事態の際、民主的統制を確保し対処するための規定は必要であるとともに、内閣総理大臣を含む全国務大臣が欠けたときも含めた臨時代理についての憲法上の規定も必要である。

【補足】

予備的調査…衆議院のみの制度で、委員会がその議決により、審査又は調査のために必要な調査(予備的調査)を衆議院の調査局長又は法制局長に命ずることができる制度。議員40人以上の要請があれば、委員会は、予備的調査の命令を発しなければならない。省庁の協力を得て実施するが、強制力はない。衆議院規則第56条の2及び第56条の3。

今後の憲法論議について(憲法論議をどう位置付けるか。今後の憲法論議はどうあるべきか。

1. 元首は、歴史的には統治権の一部を担う者とされてきたが、現在では、「元首」は様々な性格を有する存在として理解されるようになっている。日本国憲法のもとでの天皇を元首として位置付けるかどうかについては、その権能、性格を踏まえて判断する必要があるが、国民主権のもとで、象徴としての意義を有する存在とするのであれば、ことさらに天皇を元首として規定する必然性には乏しいものと考える。
2. なお、象徴という用語は、異質のものとの間の関係で成り立つ言葉である(同質のものとの関係である「代表」とは異なる。)。日本国及び日本国民統合の象徴であると規定されていることよりすると、主権者たる日本国民とは異なる存在であり、余人をもって天皇となることはできないのであるから、事実上万世一系の血統により天皇が決められていくということになる。

【第二章(戦争の放棄)関係】

9条改正をどう考えるか。

我が国は、国際協調主義をとる。しかしながら、国連の平和維持活動等に自衛隊が参加する根拠規定が憲法上明文では定められていない。また、国連の平和維持活動等への参加に際しての実力行使の可否及びその範囲についての規定もない。したがって、9条3項として、国連の平和維持活動に自衛隊が参加する根拠となる規定及び国連の平和維持活動等への参加に際しては、実力行使を含むあらゆる手段を通じて、世界平和のために積極的に貢献する旨の規定を設けるべきと考える。なお、これは、9条1項が禁止している武力行使(国家意思の発動として行われる実力行使)とは、性質が異なるものと考えている。

国連決議による自衛隊の海外派遣と集団安全保障との関係如何。

国連決議にもとづく自衛隊の海外派遣は、国連による集団安全保障の一環として認められるべきである。このような国連決議を経るという限られた条件の下において、派遣された自衛隊による実力行使については、9条1項が禁止している武力行使(国家意思の発動として行われる実力行使)とは性質が異なるものとして、認めるものとする。

自衛隊を憲法に位置付けるべきではないか。

現行の自衛隊を、必要最小限の自衛力として憲法上明記すべきとすることも、一つの考え方ではある。しかし、自衛隊がそのような存在としてとどまる限りは、現行の取扱いを維持することとしても問題はないものと考える。

なぜ、自民党憲法改正草案の国防軍の規定はだめなのか。

自衛隊は、自衛のための必要最小限の実力を行使する主体として存在するものであり、これを国防軍と呼ぶ必然性はないものと考える。むしろ、国防軍と呼ぶことで、その実体が変わるのではないかとの危惧が生じる。

なお、自民党の改憲案では、9条1項(侵略のための武力行使は放棄するが、自衛又は制裁のための武力行使は放棄しない)は維持しているものの、現行の9条2項(戦力の不保持)に代えて、「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と規定することより、自衛権の行使に際して必要最小限度という要件を取り払い、自衛権の名の下に無限定な武力行使を容認することとしている。「国防軍」への名称変更とあわせ、現在の自衛隊からその性格が明確に変容する改憲案となっている。

【補足】

必要最小限度という要件は、安全保障基本法で規定するので大丈夫という議論があるが、このような根本的な事項こそ憲法から導き出されるべきものである。

9条と集団的自衛権の行使をどう考えるか。

外国からの急迫かつ不正な侵害及びそのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に限って、憲法9条に則り我が国の独立と平和を維持し国民の安全を確保するため、やむを得ず行う必要最小限度の実力行使は、自衛権の行使として、それが個別的であると集団的であるとを問わず、妨げられない。それ以外では武力を行使しない。

集団的自衛権を認めるのか。

我が党は、「我が国の独立と平和を維持し国民の安全を確保するため、やむを得ず行う必要最小限度の」という厳しい限定を付して、自衛権の行使を認める。そのため、許容される自衛権の行使は、ほとんどの場合個別的自衛権の行使にあたるものと考えられるが、この限定の枠内にある限り、集団的自衛権の行使を否定するものではない。

我が国は、フルスペックな武力を有しているわけではないため、日本の防衛の任に当たる米軍が攻撃された場合や、周辺事態で日本のシーレーンを共同で守る米軍が攻撃された場合など、米軍に対する攻撃を撃退しなければ我が国の安全確保上脅威となる事態も想定される。従来は、これらが個別自衛権の発動か集団的自衛権の発動か、その境界について実益のない議論がされてきたが、平和主義と安全保障の観点からは、これらが「我が国の独立と平和を維持し国民の安全を確保するため、やむを得ず行う必要最小限度の」という要件に該当するか否かを議論することこそが肝要であると考える。

集団的自衛権の行使を解釈により認める理由は何か。なぜ明文改憲によらないのか。

現在の政府解釈では、「自衛のための必要最小限度を超えるもの」は戦力であり、集団的自衛権の行使はそれに当たるとされているが、自衛権行使の「必要最小限度」の質的・量的範囲は、情勢の変化により変わり得る。実態に合わせた適切な解釈のためには、自衛権行使の「必要最小限度」の原則が憲法から導き出せれば足り、また現行の憲法9条からはその趣旨を明確に読み取ることができるため、集団的自衛権と個別的自衛権を細かく区分しようとする議論や、そのような議論に基づいた規定を設けるための憲法改正を行うべき実益はない。

集団的自衛権の範囲(アルジェリア事件のような邦人保護も入るのか。地球の裏側まで行くのか。

単なる邦人保護は入らない。それは犯罪者に対して邦人を保護するというものであり、直ちに我が国の独立と平和に直接的な脅威が及ぶという性格とは別の局面だからである。もちろん、立法論的には、自衛隊が邦人の救出輸送を行うということは考慮すべき事項であるが、その場合の武器使用のあり方は、自衛権の議論とは別に考えるべきことである。

また、我が党は自衛権の行使に際して「我が国の独立と平和を維持し国民の安全を確保するため、やむを得ず行う必要最小限度」という厳しい限定を付しており、自衛のためと称して地球の裏側にまで自衛隊が派遣されることはありえないものと考える。

【第三章(国民の権利及び義務)関係】

新しい人権規定の必要性は何か(13条の総則規定で読めないのか、人権のインフレを招くのではないか。

単時代の要請に対応してその保障の必要性が特に認められるようになった人権については、明文で憲法に規定していくことが適当である。憲法13条は、本来、その保障すべき内容が条文から直ちに導かれるような、具体的な基本的人権を規定した条文ではなく、人権保障の究極の根拠となるべき抽象的条文であり、個別の人権の保障根拠としての13条の意義を過度に重要視すると、13条の意義をかえって矮小化するものとなる。

現行でも、歴史的経緯から様々な権利(公務員の選定罷免権、請願権、表現の自由、身体の拘束及び苦役からの自由等)が個別に規定されている。環境保全の必要性、知る権利、プライバシー権は、現代社会において特に憲法の明文による保障の必要性を打ち出すのに適切なものであると考えられる。

政教分離原則の例外を憲法上明記する必要性はないのか。

政教分離が大前提であり、この点の原則が憲法に明記されていれば足りる。その例外的な場合を正面から明記する必要はない。例外的な判断基準については、判例の積み重ねが存在しており、それに依れば足りる。

【第四章(国会)関係】

衆参の役割分担の方向性及び選挙制度についてどう考えるか。

衆参が同等の権限を有しており、共に同様の選挙により選ばれる現状が、必然的に衆参の違いをなくし、本来の二院制が目指している衆参の機能分担ができなくなっている。したがって、両院に求められる役割・性格を理念として憲法に明記して機能分担を図るとともに、以下のような点について憲法改正を含めて検討することとする。

  • 内閣総理大臣は衆議院議員から選ぶこととし、議会と内閣の関係を整理する。
  • 法律の制定に関し、「衆議院で可決され、参議院で否決された法律案は、衆議院で過半数で再び可決されたときは、法律となる。」として、衆議院の優越を強化する。
  • 参議院の決算審査機能・行政監視機能を重視して必要な権限を強化するとともに、中長期的課題に対する提言機能を強化するため補佐機構の拡充その他の施策を講ずる。
  • 参議院議員の選挙制度は、上記の参議院の役割を考慮したものとする。
  • 参議院について、国民代表の性格を維持しつつ、地方代表としての性格をも併せ持つ議院として位置づけ、選挙制度もこれにふさわしいものとする。

【第五章(内閣)関係】

首相公選制をなぜとらないのか。

首相公選制については、以下の理由から、採用すべきではない。

(1) 過去において成功を収めた制度例が未だ存在しないこと。イスラエルでは、首相のリーダーシップの強化をねらって首相公選制が導入されたものの、議会の多党分立化、首相の議会の統制の弱体化、国政停滞を招き、廃止された。
(2) 我が国の場合は、公選の内閣総理大臣の存在が天皇制との緊張関係をはらむこと。公選された首相は大統領のような存在となり、元首的な性格を帯びてくる。また、天皇は、国民の名において、国民に代わって国事行為を行うことから、国の政治の最高権力者を主権者たる国民が直接選ぶのなら、天皇の国事行為その他の関わりは論理的には必要なくなってしまう。

【第八章(地方自治)関係】

道州制についてどう考えるか。

道州制については、連邦制を採らず、現在の単一国家としての国家体制を維持する限り、広域の地方公共団体として道州を位置づけることで、現行憲法の範囲内で実現可能と考える。したがって、仮に道州制を導入することとなった場合でも、憲法改正は必要ないものと考える。

現行憲法92条は「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と規定し、具体的な組織や構成は限定していない。むしろ、時代の進展に伴い広域行政の必要性が高まっていることを踏まえれば、現行憲法は、広域の地方公共団体のあり方を、道州制の導入を含めて、相当程度立法政策に委ねていると解釈すべきである。

道州制と96条(改正規定)の改正の関係についてどう考えるか。

道州制の導入を、憲法改正で実現するとの主張の中には、その前段階として憲法96条を改正することとのパッケージになっているものも見受けられる。このような主張は、現行憲法の理念原則を踏まえた議論というよりは、道州制と絡めて、憲法96条の先行改正の是非を政治的に争点化しようとするものと考えざるを得ない。

なお、(我々は道州制の導入について憲法改正は不要と考えているが、仮に道州制導入に憲法改正が必要だという論旨を取るとしても)憲法改正が必要かどうかは、道州制の具体的内容を検討する中で、その結果として出てくる結論である。道州制の具体的な制度設計を固める前に、まず憲法96条改正が必要などとする主張は、憲法論議としては、いささか冷静さを欠くものと言わざるを得ない。

【その他関係】

憲法に必要な緊急事態の規定は、どのようなものか。

1. 現行憲法においては、テロ、災害も含めた緊急事態の下で国家の統治機構が機能不全に陥った場合の規定が空白である。したがって、内閣による緊急事態宣言の根拠規定その他の緊急事態の際、民主的統制を確保し対処するための規定は必要であるとともに、内閣総理大臣を含む全国務大臣が欠けたときも含めた臨時代理についての憲法上の規定も必要である。
2. なお、自民党改憲案の99条3項に「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も…公の機関の指示に従わなければならない」とあるのは、強権的にすぎると考える。このような義務付けは、公共交通機関や医療機関など、一定の公共的な責務を負う者に限定すべきものである。