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小沢一郎代表講演 第2弾 「統治機構のあり方について」

2013年11月21日 総合政策会議


小沢一郎代表の講演第2弾は、11月21日「統治機構のあり方について」をテーマに行いました。


○畑浩治 総合政策会議議長

小沢代表の第2回目の講演を賜る。「統治機構」あるいは「公務員制度」の関係、あるいは「地域主権」こういうことに対して語っていただく。

今、政府から「国家公務員法改正案」も出されているが、私達が目指す政治主導というのは、官僚を敵視することでもなければ、ましてや官僚に呑み込まれることではない。
官僚と、政と官をしっかり役割分担して、政治家の指揮権の下で、しっかりと政治主導を果たせる、そういう真っ当な制度を作ることが大事だと思っている。

形式的に屋上屋を架す組織を作ることでもないし、あるいは形式的に一元管理したからいいという問題でもない。
根源的な問題がかなり多くあると思っている。これも「小沢イズム」のイロハのイなので、語っていただき、私達もしっかり議論していきたいと思う。


○小沢一郎 代表

では、今日は、政策会議で与えられた項目のうち「統治機構」について存念をしゃべろということなので、若干申し上げ、後はもう、内輪の講演なので色々なお互いの議論にしたらと思っている。

「統治機構」の大改革ということを、私はずっと以前から申し上げているが、ここ数年大阪の橋下さんが随分「統治の機構、統治の機構」と言い始めた。最近はあまり言わないようだけれども。
ただ、彼の「統治機構改革」というのは、いわゆる「大阪都構想」の話、あるいは「道州制」の話に留まっており、根本的に我が国の本当の行政の大改革を意味しているものではないように思える。

私どもが主張しているのは、いわゆる明治以来の中央集権的な「統治機構」、すなわち強大な官僚機構による全国の統治。この政治行政のあり方を大転換しないと、もはや今日の大きな世界的な変動の中で、日本は有効な対応、すなわち舵取りができなくなるおそれが多分にある。
したがってここは、百数十年経っているが、明治以来の官僚支配と言ってもいいけれども、中央集権的な行政機構を変えようということである。

中央集権制、地方分権制という言葉はよく使うけれども、ごくごく基礎的なことでしっかりと認識してないところがある。
中央集権的な国家統治の仕方というのは、国の発展状況という点からすると、後進国・途上国において、そういう形が採られているし、政治体制としては全体主義・独裁の国家が多いということであり、その統治の手段としては官僚による国家統制ということになり、国の発展状況、政治体制、その統治の形態という3つの要素からすると、中央集権的国家統治というのは、今言ったように、後進国もしくは途上国であり、しかも全体主義的国家 ・独裁国家であり、統治の実際は官僚による国家支配であるということになる。

一方、地方分権的な国家というのは、どちらかと言うと先進国に見られるものであろうかと思うし、政治体制としては、民主主義体制・民主主義国家において見られるし、統治の形態としてはいわゆる政治主導の形で行政が、政策が遂行されているということになる。

ところで、日本の統治の実態はどうだろうかと言うと、経済的には発展状況で言えば先進国だと思う。
政治の体制から言うと、民主主義ということになっているが、現実に果たして、日本がいわゆる近代的、言い換えると欧米流の自立した個人の集合体たる民主主義国家になっているかどうかは、非常に疑わしいところである。

それから、「統治機構」形態としては、官僚支配が色濃く残っているということだと思う。そうすると、我が国の(統治機構・政治の体制)というのは、一体どういうところなのだろうか、どういう国なのだろうかと言うと、経済的発展は先進国であるけれども、政治の体制の実質と、その担い手、統治の担い手・形態は、まさに後進的国家・途上国と未だ変わらないという実態にあると思う。

日本の歴史で言えば、明治以来の統治のやり方と今日の実質はほとんど変わっていない。その主役は官僚機構ということになる。
だから、私達は4年前に「官僚主導から政治主導へ」という言葉を掲げて、そして、国民の期待を一身に集めたわけであり、それで政権交代ができたということであるけれども、そのことが結局は言葉だけであったという現実の結果で、これまた国民の支持を失った。特に我々としては、あの時に国民に訴えた、自立した個人の集合体たる自立した民主主義国家、そのことをきちんと実現していかないといけないし、また、官僚支配・官僚主導から政治主導ということを文字通り実現していかないと、改革だの変革だのなにを言ってもただの言葉の遊びに過ぎないということになってしまので、ここはきちっと認識しているべきだと思っている。

政治主導の確立というのは、政治家と国民の意識の改革と意思の強さがなければできないことであるが、それを前提として具体的に考えてみると、官僚機構の支配の源泉となっているのは、財源の、いわゆる税金の徴収権である。それからもう一つは、そのお金の配分権。これがともに、官僚機構に握られているということである。

それともう一つは、これらの権力を維持するための法的な支配制度。これは、立法府を官僚が事実上牛耳ることによって、彼らの法的な、制度的な権力の源泉を築いている。こういうことであるから、ここを変えないと「統治機構」だのなんだの言ったって、何もできないということである。
結局は官僚におんぶに抱っこ、言葉の遊戯に終わってしまう。そういう考え方のもとに立って、じゃあ現実的にどうしたらいいかということだが、これもまた4年前のマニフェストで我々は提唱したところであるが、まず一つは、今言った、一部の地方税を除いては税、財源のほぼ全てを国が徴収するということになっているけれども、これを、橋下さんにしろ東京の石原さんもそうだけれども、税源も地方に移譲しろということを言っている。

しかし、これは、今の段階で、税源まで全部地方に任せてしまったならば、それはもう、東京や大都市はいいけれども、その他の所がもう食うや食わずの話になってしまう。
国土の均衡ある発展が実現している国家では、税源まで移譲しても不均衡、格差は起きないけれども、日本の場合は非常に、大都会と地方のそういった、いわゆる税で言えば担税力の違いがもの凄く大きいものだから、これを理屈通り税源まで全部地方に移譲すればそれで済むというものではない。

だから、私の考えだが、当面、徴収権は国で税金を集めるという方法を取る以外ないだろうと思う。そしてそれを、公平に有効に配分するということになるわけだが、もちろん論理的には、将来は税そのものも、税源そのものを地方に移譲できるような形になることが、全国の平均的な発展、向上ということになるので、そういう未来、将来図を描くことはいいことで当然だけれども、現段階では、徴収はやはり今と同じように国でやる以外ないと思う。

配分権の方だけれども、今言ったように、これは税源まで移譲するということにはまだいかないけれど、この配分の中身を根本的に変える、官僚の配分権を事実上ほぼ半減させる、その権力を半減させるやり方をしないといけないだろうと思う。
それが、我々がマニフェストで唱えた「補助金の廃止」。そして、これを地方に自主財源として交付する。その中で、箇所付けは中央官庁ではやらないということになる。全て地方の自治体においてそのお金の用途については、自分達で決めると。
もちろんこれは、身の周りのことについて関連したお金だけれども、その他に当然国家としての国防であれ、治安であれ、外交であれ、当然色んなことについてのお金が国庫に入らなくてはいけないからそれは別として、身の周りのことについては全て「補助金」の廃止と自主財源とする。

だから、今ある「一括交付金」というのが、名前は同じだけれども事実上は「補助金」と何にも変わりない。もう、ややこしい作文しなければならないだけでも大変だというのが、地域の人たちが言う「今までの補助金のままの方が、よっぽど楽だ」と、「簡単で良い」というくらいの評判で、いわゆる本来の主旨とまったく違っており、言葉だけが取り入れられたということになるからこれでは意味がない。
こういうことに伴って、特会の廃止とか、あるいは特殊法人・独法の廃止とかいうことも、自然に行なわれてくると思う。
もちろん法的な処置が必要だけれども、中央官庁で現実に自分達でお金の配分権がないということになれば、自分の懐に特会やら何やらに貯め込んで、自分で勝手に使うという必要性もなくなる。

今、色々言われている震災復興のお金でも、実際は一体どれだけ使われているのだと。表に出た流用の話以外に、現実に自治体に行かずに、特会の中にかなり貯め込まれている金があるということはもう周知の事実である。
そういう意味で、そのような必要性もないし、そういうことも出来なくなってしまうということになるので、この官僚主導から政治主導へということをやろうとしたならば、まずここの金目の権限をしっかりと転換させないと何も出来ないということになる。
こういうことが実現できれば、地方の特色、事情、実情に沿って、色んなことを自分達の創意工夫で行政が出来るということになる。

一度、誤魔化しなのだけれども、竹下内閣の時に1億円ずつ各市町村に配った。本当は配ったのではない。あの地方交付税の1億円を勝手に使っていいと言っただけだけれども、大きくても小さくても全部の市町村に1億円配り、それぞれ色んなことに使った所があり、一番象徴的なのは、金塊を、金を1億円買って、それを、料金を取ってみんなに見せたとか。まったく、大きな立場で見れば愉快な使い方もあった。
いずれにしろ、そういった地域の人たちが自分で考え自分でお金を動かすと、当然地域にお金が落ちるということになる。これが地域の経済の活性化につながる。今の大きな公共事業は、ほとんどが大手の事業者が取得するわけだけれども、このお金は、人件費、地元の労務費を除けばほとんど東京に還流されるお金である。

だから地域には、何十億、何百億付けても、そのほんの一部しか地域にお金は残らない。後は全部、東京に行ってしまうということだから、そういう馬鹿げたお金の使い方もできなくなるし、またそんなことを市長、村長がやっていたら、あるいは知事がやっていたら、地元ではもう袋叩きになるからそういうことはなくなる。したがって、地域経済の潤いにもなるということである。

それから3番目は、我々のマニフェストの時にも非常に大きなテーマになって、みんなもう、マスコミやら当時の自民党や野党にそこをつつかれて、オタオタ、オタオタしてしまい、「財源がない、財源がない」と言われたのだけれども、これはもう充分あるのだ。
なぜなら、自民党政権になったら、金、バンバン、バンバン使っているではないか。民主党政権の時には「ない、ない」と言われて。ということを見ればまず、具体的なことを聞かなくても分かる通り。
それで、資料をさし上げてあるが、一般会計予算の内訳の中で「直接の政策経費」というのが24兆3,600億。「補助金」が27兆4,300億ある。合わせるとほぼ52兆円。
今の改革を行ない、政治が、政治家がしっかりと考えリーダーシップを取って予算配分をやれば、動かし得る金が50兆円以上あるということである。

例えばこれで、無駄を2割省くことができれば10兆円である。この、無駄を省くということについて、実は民主党のシンクタンクで全国の市長、村長さん達にアンケート調査をした。もし、これを全部自由に使える金だったらばどうかと。
今の補助金と比べて、あなた達は、経費の削減、無駄遣いをなくしながらちゃんとした行政をできるか、ということを問合せたら、ほとんどの首長さんが今の補助金トータルの7割。「自由に補助金を使ってよろしいということであれば、補助金トータルの7割で、今よりも立派な行政をして見せます」という答えだった。
アンケートに今の補助金の7割自由に使えるのだったら、7割でいいと言ったのだから、実態は6割でも多分いいだろうと思うし、うちの岩手の知事や首長さんに聞くと、「本当に自由に使えるのだったら半分でもいい」と言う。それほど無駄があるということである。

今の公共事業の話でもそうだし、色んな社会保障の話だってそう。細々したことまで全部、国交省、厚労省、農水省、全部、そのメニュー通りでなければお金が付かないわけだから。この無駄というのは、本当に今言ったように莫大な金額である。
だから、私はこの改革を実現して、地方が非常に元気づくと同時に、無駄金の削減につながると考えている。なぜかと言えば、当たり前のことだけれど、中央官庁でまず決めて、それから支分局に行って、それからあと都道府県に行って、市町村に行く。手を経れば経るほど金がかかるに決まっている。

流通機構だってそうだろう。一次問屋、二次問屋、三次問屋、そこからずっと通じて最後に小売店に行く。べら棒な高いものになってしまう。同じことだ。要するに、それで食べている人がいるから。そこで全部、その分を含んで行くから、結局実質のアンコの部分は半分になった、3分の1になったという話しになってしまう。 
だから、都道府県の都は含まれない道府県に、県に自由に使えと言えば、ホントのアンコの部分をもらうことになるから、無駄な経費削減し、極端に言えば今の補助金総額の半分でいい。それでも今よりも良い地方行政ができる。こういう話しになるわけである。

それから、もう一つは、さっき言った国会の官僚支配から脱却することである。これは前回申し上げた。
委員会制度の見直し。国会の立法調査権限の強化。クエスチョン・タイムのあり方。通年国会・委員会開催の柔軟性等々。一番は、政府委員の廃止。今、政府参考人になっているけれど、一度やった(廃止した)が元の黙阿弥で、全部、多分、委員会だってほとんどの部分が役人答弁であろう。だから昔、前にも言ったか、ある大臣が質問を受けて「それは大変重要なことでありますので局長に答弁させます。」と言ってクビになった。さすがに、いくら日本でも、本当のことなのだけれど、クビになってしまったということがあるが、推して知るべしなのだ。結局はそういうことなのだろう。これでは国会議員が主導することなど、できるわけがない。だからここを、この間申し上げたが、変えなくてはならない。

それから次に、公務員の問題について申し上げるが、公務員の数について。世間から「減らせ、減らせ」「多い、多い」と言う話がよく出て、それに対して政治家や官僚を代表する人達からは「いや、日本の公務員は決して多くない」と、「諸外国と比較しても非常に少ない」と、こういう言い方をしているけれども、いわゆる純粋の、典型的な公務員については、欧米に比べて日本は相当少ない。これは、正確な数字を今覚えていないが、非常に少ないのである。
だけれども、例えば公務員に準ずる人間を加えると、必ずしも少ないとは言えない。要するに特殊法人である。今は独法となっているが。そういう類いの、例えば電電公社と言ったものでも、色んな守秘義務や罰則については公務員に準ずるというふうに法で定められているところがある。

そういうような類いの、鉄道だって民間だ民間だと言って、いいように民間にしたけれど、事実上国がまだ持っているわけだから。
実際に国が持っている特殊法人やらなにやらを足すと、それほど日本が少ないということではない。正確に調査した数字を今持っていないけれども、(諸外国と)似たようなものだろう。あるいは、日本の方が多いかも知れない。
ということで、公務員制度を少しスリムにすることは当然必要だと思っている。その中でも、やはり、どう見てもキャリアの数は多すぎる。あんなにいらない。
だって、50歳前後でほとんどの人間が辞めてしまうだろう。局長に残るなんていうのは、数人なわけだから。そんなに(大勢)いらないではないかという話である。
キャリアは、私は半分でいい、すぐに半分にしたって全然不都合は起きないと思っている。数については、先ずはそこからだろうと思う。

それから、役人の任用、公務員の任用について。例えば、よくアメリカを例にとって政治任用を全面的に取り入れろという議論が、それが新しいやり方だみたいに言う人がいるけれども、アメリカの官僚制度というのは非常に失敗している。なぜかと言うと、大統領が変わると何千人と変わるであろう。ほとんどの管理職は皆変わってしまう。
これは、もちろんプラスの面もあるけれども、これをやるとプロパーの官僚が、人材が育たない。どうせ上には他の人が来るのだからということになっては、優秀な者は来なくなってしまう。そういう欠点があるし、それから、継続性が失われがちになる。

これは余分な話しだけれど、例えば私は、日中と日米と数十年間同じように草の根交流をやっているけれども、私は中国寄りだとか中国シンパだとか言われているが、私がそういうことをやってるということは、胡錦濤、多分今の習近平の耳にも入っている。そういうふうに、情報がきちんとトップにまで入っているのである。ところが、アメリカときたら、もう、同じようにずうっとやっているけれども、全然大使館も協力しないは、知らないし。そういう無関心と言うか、それでもって、どうだこうだと決めつけるから、いつもアメリカは失敗するのだけれども。
そういう意味で、官僚の継続性というか、これは非常に必要であると思う。ただ、その一面、組織が既得権益化してきて、硬直化していく。だから、これを変える方法を考えなくてはならない。

政策的にもそう。権限というだけでなくて、政策的にもそれぞれの官僚の創意工夫が、活かされにくい状況になる。だから、こういう欠点が、プラスマイナスある。ここをよく考えて、数の問題以外にこの事を考えなくてはならないと思う。
それでは、これはどうしたらいいか。俗に言う「指定職」、自由競争の原理を取り入れたらいいと私は思っている。
特に今、キャリアと言ったが、キャリアは民間では総合職だが、これを作る必要はない。(省庁の)中で、我と思わん者は指定職に挑めばいい。その中から大臣が定職の人間を選べばいい。そうすれば、試験で何番だったとかということを気にしないで、能力ある人が自分で手を上げる。その代わり失敗したら自分で責任を負うというような形が、言うのは簡単でなかなか難しいけれど、そんな形の要素を少し取り入れて、この管理職はやったらいいのではないかと思う。
管理職になんかならなくてもいい、ずっと生涯安定して暮らしたいと思う大部分の人はそれでいいわけだけれども、我こそはと思う人は、やはりそのぐらいのチャレンジをさせるということが良いのではないかと思っている。

それからもう一つ。公務員制度については、天下りは全面禁止すべきだと私は思っている。これも資料がある。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスとあるけれども、公務員の年金制度が非常に充実しており、アメリカはちょっと別。政治任用だから、社長になったりあっちこっち行ったり来たりしているからこれは別だが、英仏独の状況を見てみると、この表にある通り、現職の給与の6割から7割にあたる年金を受け取る。したがって、特に天下りは、法的な禁止事項ではなかったと思うけれども、現実にそれだけもらっていて、どこかへ天下って給与をまた取るのかというのは、非常に倫理的・道義的に世間からは批判されることになるので、現実には、たしかイギリスではほとんど天下りというのは無かったと思う。
こんな話も、日本の役人にでも言えば、みんなもう賛成であろう。本当にやってくれるのだったら、それで結構と。これと定年延長を少しやったら、もう問題ない。

それで、マスメディアもだけれど、そうすると「役人にだけなにかえらく恩典を与えて、楽させてけしからん」という、本当にケチな議論がすぐ起きるのだ。
ところが、天下りを事実上放置しておいて、それによる弊害、お金の損失というのは莫大なものだ。年金なんて、たいしたことない。公務員の年金やるぐらいの金は。
それ以上に、今の、天下りと政・官・業の癒着という構造で、どれだけ大きな損失を国民は被っているか。このことを考えたら、やはり権力のポジションにある者については、本当に厳正な、そして公正な立場で職務を執行してもらう。そのかわり、お国のために働いた老後の保証はきちんとすると。
ほとんどイギリス王立のシンクタンクとか戦略研究所とかには、政治家・官僚・軍人等のOBがみんな入っているけれど、ほぼみんな無給だと思う。だから、自分の経験を活かして、その後色んな社会的な貢献はするけれども、給料取ってということではなくて、その意味ではボランティアで公務員としての経験を活かして奉仕活動を継続するというような形になっている。

これも、(日本には)言い切れる政治家がいないのだ。すぐ、ワアワア言われるものだから、ついビビって何でもかんでも世間の風潮に同調してしまうということで、ますます天下りと政・官・業の癒着は肥大化していくということになる。
私はそういう意味で、ここも思い切ってやったらいいと思っており、それこそ「秘密保護法案」ではないけれども、そういう権力を利用して私腹を肥やしたり、もちろん機密の問題もそうだけれども、そういうものは公務員法で強くきつく罰すればいいだけの話しである。
私は、このぐらいのことを政治が決断してやるべきではないかと、そう思っている。

だいたい与えられたテーマで、自分の考えたことを申し上げた。以上。有難うございました。